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屋根裏の夢想者

所詮僕が思っていることなんて、観察を超えた偏見や思い込みなんだ、みんなと同じく。

Scottish National Gallery of Modern Art

 

 

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洗濯板が一枚ほしい、

水は充分にある、

洗うべきものはたくさんある、

石鹸はそこらにあふれている、

洗濯板が一枚あれば、

汚れも耐えかねて、

逃げ出していくだろう。

 

 

 

幸せになるのが恐い

 

朝起きるとまだ誰も起きていなくて、のんびり身支度をしてゆっくりと出かけていき、好きな女の子に話しかけられ、空は晴れていてなんとなく心地よくて、帰り道に人懐っこい猫と戯れて、家に帰ると夕食は手巻き寿司で、家族との会話も不思議と弾んで、そんな楽しい一日の終わりに風呂に入る。「ああ、今日は素敵なことに溢れていたな」と思う。

そんな時、ふと恐くなる。こんなに幸せな状態が続くわけがない。何かの間違いだ。それか、これから何かとっても悪いことがあるんだ。

体の関節がきしむ音が妙に大きく聞こえてくる。自分の呼吸をいちいち数えたり、耳や鼻を触ってそこにあることを確認したくなる。わざと湯船に顔つけて呼吸を制限したり、風呂からあがって水気がなくなり体が冷えるまで床に体育座りしたり...

なんだか慣れていないのかな。

 

(ほんとうに幸せな人って、あまり感情に変化はなくて、いつも満ち足りているのかしら。)

 

 

 

幸い、最近はそんな状態に陥ることはない。

 

 

というのも、

日没が夜の9時半近くなのがなんとなく憂鬱だったり、

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箸を忘れてボールペンで納豆をかき混ぜたり、

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仏像がスーパーで売られていたり

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するからだ。

 

 

 

 

もちろん、幸せなことが起こらないわけでもないのだけれど。

 

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孤独を感じる曲

 


The Beatles - Eleanor Rigby (From "Yellow Submarine")

 

ビートルズの『Eleanor Rigby』はすごい曲だ。ストリングスのアレンジやポールの歌唱、なにより歌詞が素晴らしい。ある人は「この曲を聴いて本当の孤独というものを感じた」みたいなことを言っていた。

しかし、ぼくはそれほどこの曲を聴いて孤独を感じない。一個の作品としては本当に素晴らしいのだけれど、どちらかというと、そのすごみをひしと感じるだけだ。

 Ah, look at all the lonely people というフレーズが、「あの哀れなやつらを見てみろよ」と見下して歌っているように聞こえてしまう。もちろん、そういう意図で言っているわけではないのだろうけど。

 

 

 

最近聴いた歌のなかに、聴いている途中でつい目が潤んでしまったものがある。

たまの『きみしかいない』  歌詞がかなり難解。

 

 

最終避難場所のともだちとキスをして

とかげの棲む公園をあとにした

きみのあたまは誰かのいたづらでもうこわれちゃってるから

図書館のガラスを割って這入る

誰もいないから きみしかいない

誰もいないから ぼくの言うこときこうね

 

ずぼんにしみついた 

さばの缶詰の匂いが大嫌いで

みんなの待つ公園を爆破した

不自由な身体のきみとあそびながら

地下室で見つけた火薬の本

誰もいないから きみしかいない

誰もいないから きみがこの世でいちばん

 

誰もいないから きみしかいない

誰もいないから きみがこの世でいちばんぶす

誰もいないから しょうがないよ

誰もいないから ぼくらがいるのはずるいね

 

 


たま きみしかいない(PV)

(最初20秒ぐらい音がありません)

 

 

 

「きみしかいない」というフレーズをそのまま、痛々しく愛を叫ぶラブソングとして受け取ることもできる(キスなんていう言葉も入ってるし)けど、知久寿焼さんの壊れちゃったような歌い方が切なくて、どこか閉じこもっているような印象を与える。それから、「誰もいないから」の前には「ぼくの他には」という言葉が省略されているのだと思う。だからきっと鏡に向かって「きみしかいない」って言ってるんだろうな。

 

きみとぼくしかこの歌の中にはいなくて、きみはぼくで、それで完結してしまっている世界。だから孤独っていう表現がすごくしっくりくる。最後の「誰もいないから ぼくらがいるのはずるいね」という一節には鳥肌すら覚える。

 

 

 

 

 

 

 

 

ぼくはどこまでもぼくで

きみは圧倒的にきみで

それがもう長い間続いてて

朝は夜と手を組み始めて

昼を追い詰めてゆく感じだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『Eleanor Rigby』と『きみしかいない』では、孤独のタイプは異なるかもしれない。

だが、『きみしかいない』の孤独の深さは尋常でない。その歌詞は共感を呼ぶようなものではないかもしれないが、説得力という点では比べものにならないほど力強い。あまり上手くいえないけど、然るべきときに聴けば、この曲以上に聴く者を感動させてくれる歌はないだろうな。

最近撮った写真から

 

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すごいらしい

 

 

 

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突き抜けた

 

 

 

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まぶしい

 

 

 

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抽象化

 

 

 

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<赤毛募集中>

 

 

 

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秘密のお話し

 

 

 

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こんなはずじゃ...

 

 

 

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誰かが書いたシミ

 

 

 

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左を見ろ!

 

The Millennium 『Begin』

 

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高校一年の冬に初めて聴いて、それから長いこと取りつかれたように聴いていた一枚。おそらく半年ぐらいの間、毎日一回は通して聴いていたと思う。そのおかげで、ウォークマンの‘最も再生した曲’の上位はこのアルバムの収録曲で占められていた。変化をつけるためにイヤホンの左右を逆にして新しいサウンドを楽しんだり、アルバムジャケットを拡大印刷して部屋の壁に貼ったり、それを簡略化してロゴマークみたいにしたものを教科書に名前代わりに書いたり、少しでも(理解してくれる)可能性のある友達に押しつけて聴かせたりした。

 

キーパーソンとなったのはカート・ベッチャーという人物(略称カーベッチャ)。斬新なハーモニーアレンジを施すことで一部の業界人の間では有名だった。彼が才能ある若きミュージシャンたちを寄せ集め、膨大な製作費と時間をかけて作り上げた。しかし、アンセムなんていう曲まで作ったにも関わらず、あまりに前衛的だという理由でまともにプロモーションされずに、時代の流れに埋もれてしまった。

もしこのアルバムが例えばビートルズの面々の肥えた耳に届いていたりすれば、あるいは歴史的な名盤としてその名をとどろかせていたかもしれないが。音楽ファンの間で徐々に知名度を上げていったのは、発売から実に20年以上が経ったころであった。

 

 

 

 

  1. Prelude

アルバムはチェンバロの軽快な旋律で始まり、それを引き裂くようにドラムが右チャンネルから響いてくる。これ以上のオープニングはないんじゃないかってぐらい好き。


The Millennium - Prelude (USA 1968)

 

  1. To Claudia On Thursday

Preludeから続く。この曲をはじめ、It’s YouやIt Won’t Always Be The Sameなど、ジョーイ・ステックとマイケル・フェネリーのコンビによる作品は質が高い。

 

  1. I Just Want To Be Your Friend

カートの作。

 

  1. 5 A.M.

なぜかシンガポールでNo.1ヒットとなった曲。この14曲のなかで一番ポップなナンバーかもしれない。作者はサンディ・サリスベリ―で、甘いメロディーを作ることにかけては、このグループで右に出るものはいなかった。もう1、2曲ほど彼の作品を入れてほしかったところだ。


Millennium - 5 a.m

 

  1. I’m With You

リー・マロリーの曲。

 

  1. The Island

カートの作。鳥の鳴き声やコーラスのアレンジが絶妙。

 

  1. Sing To Me

リー・マロリーの曲。ブラスが違和感なく溶け込んでいる。

 

  1. It’s You

このアルバムを代表する傑作。音のひとつひとつが輝いている。ジェット機がぶっ飛んでいる。1分41秒あたりのコーラスの厚みがすごい。その部分だけを何度も繰り返し聴いたのを覚えている。中盤とエンディングに登場する呪術的で不思議なコーラスも魅力的。


the millennium 'it's you'

⇑音がすごくいい!

 

  1. Some Sunny Day

正直、こんなにリー・マロリーの曲を入れなくてもなあと思う。バンジョーが入っているなんて最初は全く気付かなかった。

 

  1. It Won’t Always Be The Same

爽やかな風みたいな素敵な作品。タイトルが良い。完璧なパワーポップで、ギターが曲全体を引っ張っている。何度も繰り返し聴いてしまう、不思議な魅力に満ち溢れた曲。


It Won't Always Be the Same - The Millennium - Begin - 1968

 

  1. The Know It All

カート作。白くて軽やかな曲が続いていたが、この曲は少し赤や黒をにおわせている。次の作品のための橋渡しのような気もする。

 

  1. Karmic Dream Sequence #1

琴を大胆に活用したドリーミングなサウンドが聴き手を満たしてくれる意欲作。後半の琴のソロパートは圧巻。いや、琴もすごいけど、それを盛り上げているドラムやSEも非常に迫力がある。カートは日本がかなり好きだったらしい。


Karmic Dream Sequence No.1 - The Millennium [Los Angeles, California] - 1968

 

  1. There Is Nothing More To Say

これ以上言うことなんてないよ... 素晴らしい。この曲を最後にしないところがおもしろい。邦題は『語りつくして』


The Millennium-THERE IS NOTHING MORE TO SAY(和訳)

 

  1. Anthem

彼らが所属していたコロンビアレコード賛歌。

 

 

 

 

 

 

改めて聴き直してみても、あちこちに細かな工夫が施されていて本当に飽きない。革新的で複雑なコーラス、多種多様なSE、斬新な楽器の使い方など、サウンドを豊かにするアイデアに溢れている。メンバー7人のうちシンガーソングライターが5人という変則的な構成だったが、カートの見事なアレンジによって不思議な一体感を醸し出している。

それまではコーラスに特に力をいれて全面にその声の波を押し出していたカートだったが、このアルバムではそれをあくまでひとつの効果にとどめ、さらにスタジオの中や外でできる様々なマジックを詰め込んだ。その点でも、彼にとって『Begin』は特別な作品だったんだろうなぁと思う。彼らが生み出した美しいサウンドは、カリフォルニア・プログレッシブ・ソフトロックという長いあだ名又はミレニウムという名前でしかジャンル別けできないだろう。

 

カートは残念ながら1987年に亡くなってしまっている。彼にプロデュースされてみたかった。

 

来年で発表から40年になるが、その音は今も白く輝いている。 

 

 

 

<余談> ぼくは『名盤』という言葉がたまらなく好きなのですが、この盤が発売された1968年というのは、英米では最高の名盤イヤー。他に、『White Album』『Beggars Banquet』『Music From Big Pink』『Astral Weeks』など。比べて、この頃の日本の音楽界は何をしてたんだって感じですよね。

 

 

<もっと素敵で丁寧な解説>

http://www009.upp.so-net.ne.jp/wcr/begin.html

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ

カートが並行して作っていた『Present Tense』というアルバムから。Beginほどアレンジが大げさでなく、よりメロディーやハーモニーの美しさを感じられる。どちらもジャケットが如実にその中身を表している。


Sagittarius -[1]- Another Time

 

 

…動画貼りすぎたかな

貝独楽のうた

 

貝は 独りで 楽しげだ

貝は 独りを 楽しんでいる

貝は 独りが 楽しいのだ

貝は 独りで 楽しいのか

貝よ 独りを 楽しもう

貝も 独りが 楽なのよ

貝は 独りっ子 楽ちんだ

貝も 独り立ち 楽しみだ

貝は 独り身 楽ちんさ

貝の 独り旅 楽天

貝の 独り芝居 楽日

貝殻 独り 楽太郎

貝は 独逸産 楽聖の祖国

貝殻節 独り琴 楽の船

貝は 独りを慎みつつ 楽しむ

貝の 独り言 楽隠居

貝寄せの風 独り寝 楽屋顔

貝は 独りを 楽しまず

貝は 独りを 楽しめず

 

貝が 独りで 楽しく回る

貝は 独りで 楽しげだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『秋の夜の会話』

 

さむいね。

ああさむいね。

虫がないてるね。

ああ虫がないてるね。

もうすぐ土のなかだね。

土の中はいやだね。

痩せたね。

君もずいぶんやせたね。

どこがこんなに切ないんだろうね。

腹だろうかね。

腹とったら死ぬだろうね。

死にたかあないね。

さむいね。

ああ虫がないてるね。

 

 

草野心平という詩人が残した詩です。

蛙をうたった詩をたくさん残した人です。

教科書にも載っていたので読んだことのある方も多いと思います。

ちなみに。

ぼくが今まで読んだ詩の中でベスト3には入るぐらい好きな作品です。

ところで。

彼の詩では一文一文にいちいち句点が打ってあります。

 

 

 

 

まるまるまる

 

 

 

 

これにはいろんな解釈ができると思うのですが。

例えば。

ネット上のものを引用すると。

 

まとまった意味の塊であることを読者に感じさせる。一つ一つが意味の塊であるから、それの集合体としての詩の全体もまた、豊かな意味を持ったものとして読者に迫ってくる。

 

であるとか。

 

草野にとっては句点は、終止符にはならない。草野の詩では句点が句点としてのちからを奪われ、つまり終わりが終わることのちからを奪われ、文自体が継続の、いきつづけていくことの意志をしめすものなのだ。

 

であるとか。

 

なるほどと感心させられるような解釈だ。

 

 

 

 

ところがぼくは。

この○の一つ一つはずばり。

「カエル」なのだと思います。

蛙が可愛くて本当に好きで。

できるだけ詩のなかにたくさんの蛙を登場させたかったんだと思うのです。

実際、『冬眠』という詩は

 

 

 

 

 

 

 

 

です。

簡潔に完結。

 

○がすべて蛙だと思うと。

なんだか愛おしく思えてきませんか。

 

 

 

『わが抒情詩』(抜粋)

 

くらあい天(そら)だ底なしの。

くらあい道だはてのない。

どこまでつづくまっ暗な。

電燈ひとつついてやしない底なしの。

くらあい道を歩いてゆく。

 

   ああああああ。

   おれのこころは。

   どこいった。

   おれのこころはどこにいる。

   きのうはおれもめしをくい。

   きょうまたおれは。

   わらっていた。

 

どこまでつづくこの暗い。

道だかなんだかわからない。

うたっておれは歩いているが。

うたっておれは歩いているが。

  

 

 

 

 

...まっ、個人の見解なんでね。

 

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P.S. 蛙帰るよ変えるために。飼えるために返るんだ。

 

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Pentland Hills Regional Park

 

広ーい公園の写真。

原っぱで寝転がるとなんとも心地よかった。

 

 

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三上寛と友川カズキ


三上寛 誰を怨めばいいのでございましょうか

 

 


友川カズキ/生きてるって言ってみろ

 

力強い。圧倒される。

説教を受けているような、ゲンコツで殴られているような感じだ。正直、一時間と聴いていられない。

友川カズキの歌い方は鋭利な包丁のようで、三上寛(かん)の声は地震を起こすみたいに強烈だ。本当の意味で、魂を込めて歌っているなと感じる。もちろんそれは歌詞にも表れている(真摯に聴かなければならない)。

 

三上さんは青森出身、友川さんは秋田出身。どちらも東北出身というところに、なんだか納得させられる。イメージさせられるのは、荒波と豪雪と冷え。それから閉鎖的な社会。

聴く人や場所や気分を選ぶ音楽にこそ、果てしないパワーやエネルギーがある。

 

紅白のセットリストにこの二人を組み込んだら大変なことになるだろうなぁ、いろんな意味で。

 

 

ちなみに、三上寛という人の存在は、エディンバラの図書館で知った。古澤良治郎というドラマーとコラボした『ブリキ』というアルバムがなぜかそこにあったのだ。他にあった日本のアルバムは、坂本龍一と、千と千尋のサントラと、数枚の欧米人向けの琴や雅楽のCD。いまだに不思議だけど、その圧倒的な声が聴けるので感謝している。

 

 

二人のCDをTSUTAYAでたくさん借りて、毎日夜中にちょっとずつ聴ける日が来るのが、待ち遠しい。。

 

若いって青い?

高校のころ、だんだんと学校内でバンド(ロック)を組む人が出てきた。もてるためなのか、純粋に音楽をやりたいと思ったからなのかわからないが、ぼくはひっそり「若気の至りだなあ」と思っていた。

 

若い時分はいろいろと無茶や冒険をしてみたくなる。両手を自転車のハンドルから離してみたくなる。屋上の柵から一瞬手を離してみたくなる。血や赤に興奮を覚えたりする。

 

先日ポールマッカートニーが来日して、ずい分盛り上げたらしいが、あの人も、もう若くない。4年前には『New』というなかなか密度の濃い素晴らしいアルバムを作ったが、それ以来新作は出していないし、やはりビートルズ時代の作品と比較すると一部の曲は詰めが甘いような気もする。

若い頃の作品にはたくさんのアイデアが詰まっている。オーケストラを操って日常を表現したり、架空のバンドに扮してアルバムを作ったり、SE(サウンドエフェクト)で曲を多様に色取ったり...

 

若いということと老いているということの、それぞれに良さとおもしろさがあると感じる。

 

日記やエッセイなどで今の自分が考えていることや興味のあることを書いて残しておいて、老いてから読み返すとおもしろいかもしれない。

 

 

 

 

『若』っていう字に草かんむりがついてるのは、青臭いからなのかな。

 

 

 


Tomorrow Never Knows - The Beatles

 

老いるということ

 

 


Simon and Garfunkel - Old Friends

 

 

 

 

 

 

「亀の甲より年の劫」という言葉があるが、本当にお年寄りの方々のまなざしには何か特別なものがある(個人差あり)。その目で様々なことを見て、その体でたくさんのつらいことや楽しいことを経験してきたのだろう。

 

そのせいか、ご年配の方はやわらかなおかしみを持っている。ちょっとした日常の間違いやへまに笑っている。詩人で画家のまどみちおさんは、

 

 

『トンチンカン夫婦』

 

満91歳のボケじじいの私と

満84歳のボケばばあの女房とはこの頃

毎日競争でトンチンカンをやり合っている

私が片足に二枚かさねてはいたまま

もう片方の靴下が見つからないと騒ぐと

彼女は米も入れてない炊飯器に
スイッチ入れてごはんですよと私をよぶ
おかげでさくばくたる老夫婦の暮らしに

笑いはたえずこれぞ天の恵みと

図にのって二人ははしゃぎ
明日はまたどんな珍しいトンチンカンを

お恵みいただけるかと胸ふくらませている

厚かましくも天まで仰ぎ見て・・・ 

 

という詩を残している。

 

 

 

これらにはそれなりの理由があるように思える。人は苦しみを経験し、それを嫌がって逃げ出すということを繰り返して生きている。

例えば、学生が勉強をするのはテストで悪い点数をとって怒られたくないから、または偏差値の低い大学に行って将来を暗くしたくないから。逆に勉強をしないのは机に向かっているのが嫌だから、ゲームという楽しい遊びを知っているのに勉強というつまらないことをしているのが苦だとしか感じられないから。掃除をするのは家を汚れた状態のままにしたくないから。買い物をするのは腹が減っているのが苦しいから。ゴミを出すのは腐った臭いを家に残しておきたくないから。

すべては苦しい状態を変えるための作業なのだ。

 

 

それを長い時間絶え間なく繰り返してきたお年寄りの方々は、その現象をより深く知っているのだろう。彼らは、少しだけかもしれないが、智慧を知っている状態に近づいているのかもしれない。

 

 

現在高齢者と見受けられる人々は、戦争を経験した、戦後に生まれた方々はその復興と高度経済成長のなかで育った。それだけに力強い意志を持った人が多いように思う。

ぼくを含め、平成に生まれた者たちはまだ三十路すらも迎えていないが、何十年か経ち、体が老いを背負った時、どんな風になっているのだろうか。今の老人たちと何が違い、何が一緒だろうか。

 

 

 

 

 

ぼくは少し老いを楽しみにしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

以上、以下の本を読んで思ったことでした。

 

『怠け』を克服する  

アルボムッレ・スマナサーラ長老 著

たまの歩く道

 

日本のポピュラー音楽の中で、

 

Jポップの大半やロックの一部は、街の大通りを歩いている。

 

路地裏を行くのはロックや演歌やヒップホップ。

 

尾崎豊佐野元春なんかはハイウェイを走っている感じ。

 

田舎のあぜ道や川沿いの道を歩いているのはフォークや昭和の歌謡。

 

そんな中、森にひっそりと存在する‘獣道’を進む強者ものいるのだ。

 

それは、

 

「たま」である!

 

あまりにも独特でフォロワーがいないこのオーケストラの醸し出す雰囲気は、怪しげで、魅力的だ。明治の田舎町にやってきたサーカス団のような、におい。。。(特に知久寿焼さんの曲)

アコースティックの楽器で作りこまれたサウンドも特徴的である。

 

90年代は日本のポピュラー音楽、特にJポップにおいてはひとつに到達点であると思う。このころにある程度完成してしまった感がある。

そんな時代に突如現れた彼らは、当時たま現象と呼ばれるほどにもてはやされたそうだ。

 


たま らんちう

 

 

けもの道をヒタヒタと歩いているような、

人間の社会から離れ、ひとり歩いているような、

 

 


たま かなしいずぼん

 

 

 

(いや、あるいは道どころか部屋からすら出ていないのかもしれない。)

 

 

 

あくまで、ぼくの勝手なイメージです。。